(1)1991〜2001

濱田・平岡とのツカ研創世記、濱田・浅井から阿部・夏子への禅譲

 

神戸塚研・1999

1 着任

塚原・神戸大学への就職:  ジョブ・ハンティング・プロセス

大学の先生の「就職活動」って、けっこう、大変なんだよ!
塚原にとって、東海大学の文学部では、助教授だったけど
でも、いつでも「就活」は、マジでやり続けるもんです。
1994-1998の間に、東大の科哲
(橋本毅彦さんは、これをマジで考えていたらしい、うーん、!!!
でも、塚原は、日本語ができない・・・)・マンチェスター大・フロリダ大
ついでに大阪府大、それに、東京水産大
(金森さんは、塚原を、「部下」にしてくれる予定であったが
やはり、小松美彦さんと柿原くんが、適任であったようだ)
もちろん、ケンブリッジ大とライデン大学、などなどに、触手を伸ばすのだが・・・

神戸大学のポストの公募がでる:
塚原・応募、 100通あまりの応募がある。
 書類・業績の送付、 そして面接、 結果、やっと採用通知。 2月に食い込んでる。
Mr. M
、大活躍。 うーん、わかるよねえ・・・
で、東海大学への通知、遅いので嫌がられる。
3月の最終教授会で、やっとの割愛、などなど。

で、
1999
年4月 神戸大学国際文化学部 助教授 文化規範論
同大学院総合人間科学研究科(修士課程) 担当。

なぜ、神戸って?
そりゃあ、「村上春樹の街」だから!
テーマは、「ジェイズ・バーを探せ」とか。

就職ついでに、文学部長・真方先生から連絡をいただく。
真方先生は、あとで、ケンブリッジのジェフリー・ロイド大先生の旧知だったと判明。
ケンブリッジでの盟友、納富信留君
(当時は九州大学・現在は慶応大学の哲学の先生)
も知己を得ているとのこと。 まったく世界は狭し!

ついでに国際文化の学部長・橋本氏は、
東海大学時代の酒飲み友達の久保田先生の友人で
発達の学部長・野上先生は
STS
国際会議のころによく飲みに来られていて
中島秀人氏の仲良しなので、なんだか、上司のライン・アップは
もう、出来上がってる。

ついでに野上先生は、学長になっちまう・・・!!!!

その真方先生から、
同神戸大学大学院
文化学研究科文化原理論大講座(博士課程担当)
助教授に着任を頼むとのこと。
これは予想外。

後で判明するが、神戸大学は、なんだか、
大学院などに関しての制度的な状況は、けっこう、複雑。
なにしろ、学内的に(というより、学者の格として)
圧倒的に 「劣位」であるという
「旧教養部」というスティグマ(捨てぃ熊)と
解体のうえ再編をうけてきたという
トラウマ(虎馬)を背負っている。
塚原的にアカデミック・アグレッシヴななかで生きてきて
「知性」のみをもって
「勝ち上がる」ことが「正しい」と考える
ラモス・ルイ型の人間には、けっこう、前途多難であった。

でも、神戸ライフは、快調。
塚原のアグレッシヴネス・タフネスと、キャラ的には
ほとんど逆となる(?)Mr. Mとのコンビは、いい感じである。
Mr. M
とのキャラ的共通性は、しかし
「打たれ強さ」かもしれない。 ・・・津波かい?

バングラデシュ以来、相変わらず
塚原は直属の上司には恵まれてる。
これも人徳か。(?)
ちなみに、バングラデシュでの小生の「親分」であり
「大親分」である方は、大橋正明さんと言います。
日本のNGO界の、ちょっとした、人物です。

で、3月に神戸の研究室への引越し: hirary参上
「センセイ、いい、ウェーヴ、だしてますねえ」と
関西弁で言われて、けっこう
(本人は東京弁のつもりで言っているんだろうけど)
神戸のネイティヴとのファースト・エンカウンターで、いい感じ。
 引越しの掃除のあと、「へいろく」へ、飲みにゆく。
hirary
はあまり飲まない。
タバコばっか、すっているので、禁煙の塚原にはきつい。
でも、やつは、道頓堀のタバコ屋の息子と判明。
いきなり、すげーの、つかんじまったぜい!

4月のガイダンス: hamnyamn ゼミ生に。
・ ・・このhamnが大酒飲みであったことが、よかった。
 すごく、よかった。 hamnはヒロシマ・呉の産。
あとで、ブレークする。
hirary
の教育と、塚原が注入した大量のアルコールと
天性のものが良かったようである。
まだこのころは、いわゆる「4人組」のひとりとしてしか
世には知られていない時代。

4月からの大学院の授業・gennちゃん 参加。
うーん、神戸ネイティヴのベタベタ
(現地語では、コテコテ、というのかな?)まで掴んじまう。
うーん、gennチャン系は、「神戸大学の歴史」そのもので
この系統は、なかなかのものである。
のちに、舟橋健男、三上剛史、水谷雅彦までつながる
神戸の保守本流であった。

着任して初年度の学部の2回生の授業(ゼミ):
東大の『知の技法』を関西でやるのは、やっぱ、無理があったかな?
ノリ、いまいち。
でもyagyさん 半年後に加盟を決定。
流石にyagyの手のものは、徳川の武芸指南役を勤めていただけある。
徐々に力の片鱗を出し、ときどき手裏剣やかんざしで
うしろから人を刺したりしていた。
最終的に、卒論で判明するが、 かなりの「使い手」。
とても「ビミョウ」である。

規範基礎 というかつてあった授業:
「科学と帝国主義」を扱う。
 tanack くん (岐阜出身) 参加。
その後、hamnhiraryとともに、塚原の翻訳を、いろいろと、手伝う。
このとき、この「科学と帝国主義」であつかったテキスト
(ルイス・パイエンソンを批判したパラディーノ・ウォーボーイズのもの)は
後に、『現代思想』、2001年8月号に翻訳を掲載。
yagy
tanackの協力を記載。

塚原、「中国科学史の新潮流」
(アメリカ・ペンシルヴァニア大学、Nathan Sivin 教授講演)の通訳と解説
京都大学人文科学研究所、1999年5月25日。
hirary
hamnの京都デビュー。 
芸人さん的には京大・人文の助手・東郷さんと
神戸大・hiraryの 科学史の関西2大エンターテーナー時代の始まり。
でも、奴らは、ホントに、裸で、踊るんだぜい・・・
うーん、hiraryのバサラ・ダンスは、ちょっと・・・
目のやりばに、こまるんだあああああああ

京都上洛を期に、hiraryhamnが本格的に塚原の用心棒役となり
そりゃあ、ちょっと目には、怖いわなあ。
三条あたりの攘夷派とガンを飛ばしあう。
3人とも、ヒゲが生えていて、目つきが悪い。
そのうえhiraryはデカくて、hamnにチャカを持たせている。 うーん。

神戸大学STS研究会立ち上げミーティング
「ジェンダー・科学・そして科学論」(Mr. H幸秀氏講演会)の主催。
1999年6月7日。
2000
年4月からの、「神戸STS研究会」への布石を打つ。

神戸大学 塚原研・初の東京遠征
東北沢の駅に、hiraryが、hamnを連れてくる。
STS
春のシンポジウム: hiraryhamnの東京デビュー
nakamくん、おずおずと)・・・神戸の塚原さんの研究室って
みんな、ヒゲはやさなくちゃいけないんですか?

実は、朝からhiraryは、hamnを、ヤバイとこ
(まあ、よーするに、歌舞伎町です)に連れてって
ヤバイ、薬を、変な、ババー、(?)、から買わされてきて
ぼられていたこと、あとで、判明する。
うーん、やべえ。

それで、
国際東アジア科学技術医学史学会(シンガポール)および
ケンブリッジ・ニーダム研究所への研究旅行準備会
中山茂・佐藤賢一 講演会
東京大学先端科学技術センター、1999年6月18日。

夏には、

-STSNJ(科学技術社会論研究会ネットワーク・ジャパン)の
「夏の学校」現地事務局主管
(現地委員は神戸大学・gennhiraryhamnnaruら)
六甲セミナーハウス、1999724-26
genn
ちゃんの発表。 naruも、「だまされたー」と言いながら、発表。
ジャサノフを、中島夫妻と塚原を乗せ
genn
ちゃん号で新神戸まで迎えにでる。
genn
ちゃん号、歴史的人物(?)というより
世界的有名人を乗せた一日となり
そのあと、「三田屋」本店で、パッとやる。
狂牛病なんて、日本ではまったく知られぬころ。

Sheila Jassanoff 講演会、STSNJ
(科学技術社会論研究会ネットワーク・ジャパン)の
「夏の学校」現地事務局
六甲セミナーハウス、1999年7月24-26日

このころから、ミドル・ネームが定着しつつある。
hirary
「用心棒」リュージ、 hamn「核弾頭」mune
nakam
「お公家さん」masak、 yagy「なぎなた宗家」ery
kat
gennちゃん」gent などなど。

-国際東アジア科学技術医学史学会(シンガポール)
およびケンブリッジ・ニーダム研究所への研究旅行準備会
橋本啓造・佐藤賢一講演会の主催と司会
および京都大学人文科学研究所東方部図書館の見学会
1999年7月27日。

hirary・hamnを連れた塚原は、洛中にはすでに怖いものがなく
よく酔っ払っている。 
佐久間象山の暗殺のあとで
ホラ吹きの霊が乗り移ったのか?
池田屋とか、蕎麦屋の二階だけには、気をつける。

99年秋: シンガポール・ケンブリッジ・ライデン、塚研第一回 海外遠征
参加者 神戸から: hiraryhamnnaru
東京から: nakam
現地合流: kakihshino、京大のイタリア語科のhiraryの友達
調くんも、ケンブリッジで合流。
ケンブリッジ大学のチャオくん(塚原の朋友、香港出身の、「天才」。
ケンブリッジ大学の生化学の先生。若い。うーん、若すぎる。
その後、ashが、彼の世話になる。
現在は、ケンブリッジ大学のフェローを経て
パリのパストゥール研究所の専任研究員)と
スコットランドの雄、ジョン・モフェット氏(ニーダム研究所の
実質的な中心人物・塚原の書いた
ニーダムのオビチュアリーを参照)を交えた夕食会。
塚原は、学生たちが、ちゃんとした英語でコミュニケートできるか
心配で、心配で、うーん。

シンガポールでの国際学会:東アジア科学・技術・医学史学会
塚原の発表は“Westernization from different angles:
Review of Historiography of Science in Japan
from the viewpoints of Rangaku and Colonial Science”,
at the 9th International Congerence on the History of Science in East Asia,
23-27 August 1999, Singapore. (
シンガポール大学出版会より2002年の8月に刊行。)
塚原による会議の報告は
「科学史における『東アジア』という領域についての小察:
9回国際東アジア科学史学会の報告と、新装した機関紙
East Asian Science, Technology and Medicine
の紹介」
『科学史研究』、岩波、vol.39, No.213, 2000, pp.41-46.

いやはや、楽しかった!
シンガポール:ムチャムチャ高級ホテル!
学会もすごい面白い。

シンガポールでは、なぜかnakamくんだけが、ストリート・ナンパされて
残りのミナは、ちょっと妬いている。
うーん、でもなあ、nakamは、そーゆー、役回りだぜぇ・・・

ケンブリッジ:ニーダム研究所訪問
ガートン・カレッジという名門の女子カレッジに宿泊。
kakih
shino組がジョイン。
ライデン:塚原とnakamくんはブールハーヴェ博物館・ライデン大学などで調査。

オランダでは、エドワード氏がアレンジしてくれた、国際A級マッチ
「オランダ vs ベルギー」戦を、ロッテルダムのスタジアムに見に行く!

うひゃー、とんでもねー試合。 5対5の引き分けだぜー!
こんなん、ありかい!
でも、デヴィッドのスーパープレーに酔っていたが、冷静に考えれば
2002
ワールドカップに来れないオランダ、来れるベルギーという構図は
すでにこのころ、できていたのだろう、とかなんとか、歴史的回顧。

hamnは、エドワード氏と一緒に、プレス・ルームに入って
ただのビールをガンガン飲んでくる。

というわけで、熱い、暑い、はじめの夏が過ぎる。

秋です。

“Cultural Bases of Science in East Asia: Japan”,
given at the International Symposium
on the Comparative History of Science,
Oct. 28-30, 1999. on the 29th Oct., pm14:30- .
(比較科学史国際シンポジウム、国際高等研究所:
この内容は、IIASの報告書にて出版)
hirary
が参加。

-神戸大学STS研究会立ち上げミーティング(その2)
「ジェンダーと18世紀の科学:フランスのコンクールと女性」
(川島慶子氏講演会;郡司ペギオ幸夫氏がコメンテーター)の主催。
1999
1021日。
神戸STS研究会・GMO研究会の布石は、着々と打たれている。
なんだか、kawashさんが、gunjさんをけちょんけちょんに論じていて
gunj
さんはちょっと引いていた。
飲み会がすごく盛り上がる。
kawash
さん、おもろかったー!!!

1999秋: 水曜1限 「コミュニケーション規範概論」 始まる。

ここでは、規範の「齟齬」について、『買ってはいけない』から
村上先生の『安全学』、『現代思想』の安全とは何か まで行く
アクロバット的授業。

ここで、ashmizogsonodteru
nakatt
chieeHyuusugio、などなど
後の主力メンバーをゲットする。
hamn
yagyがアシスタントで入っている。

月3のキョウゲンでは、kondをゲット。

1999の秋、特に11月は、塚原は、へたへただった。
科研のアプリケーションを、合計3000万円ほど、書きまくる。

hamnが、切り貼りや、書類つくり
特に細かい作業にものすごい才能があって
やたらに丁寧なことを発見する。
やつは、英語部と、読書部だったことが判明。
うーん、人は見かけによらない。

それでも、とにかく、塚原は
電話をかけまくり、メールで書類をかき集め、
Mr. H
や中島さんにアイディアを聞きまくって
プリントアウトしたフラグメントをhamnが書式に切り貼りして
それで書類なんとか作って、それで塚原とhamn
飲みまくって、また書類を作りまくっていた。

でも、「歴史的」に振り返ると、結果的にこの時のアプリケーションで
1500
万(年間で400万くらい)来たことが
神戸での塚原研の活動資金となっているのだから
ここでの「アプリケーション書きまくり」・「アイディア出しまくり」・「お金欲しがりまくり」は
塚研のコアになっている。
やはり、hamnの貢献は大きい。
このころ・・・
hamn
、人生の岐路。 イギリス留学への決意をかためる。
うーん、やはり、やつは、「いい男」の、宿命を(?)、背負っている。
(なにが言いたいか、わかるよなあ、みんな、大人だろうから。)
塚原とよく飲む。
ちょっと、飲みすぎ。
hirary
、修論で苦戦。 あまり飲まない。
genn
ちゃん、さすがにちゃっかり、マイペース。(のように見えた。)
前者は二人とも、禁煙をした塚原の眼を盗み
タバコはばかばか吸っている。
塚原も、ときどき、隠れて葉巻をやっている。
そのうえhamnは、酒もガバガバ飲んでる。
うーん。

塚原は交通事故にあって、腰をいためる。
しばらく、松葉杖。

はやっていたもの: 『バガボンド』
hamn
は、武蔵キャラに、そうとう、いかれている。

塚研・2000

1999-2000にかけて:
tanack
yagyashたちが参加していろいろ活動。

春の東京遠征、学生部隊はgennチャン号で東京へ:
STS
春の学校で、ashyagyのデビュー

-「『買ってはいけない』のSTS的分析:『安全学』
『現代思想・特集「安全とは何か」』の観点から」
ash恵美と共同研究)
STSNJ
(科学技術社会論ネットワーク・ジャパン)
春の研究発表会、東大先端研、20003

-「神戸大学学生の現代科学技術に対する問題意識:
STS的な観点と村上陽一郎の
社会的影響力の再帰的測定の試み」
yagytanackと共同研究)
STSNJ
 (科学技術社会論ネットワーク・ジャパン)
春の研究発表会、東大先端研、20003

hirary: 修士論文を書かず、留年。
傷心をかかえ、髪を伸ばしだしたのはこの頃だっけ?
それまでの短髪から、爆発をへて
なんだか『バガボンド』にでてもおかしくないようなキャラになる。

hamn:イギリスへ。
hamn
の追い出しパーティーは、伝説となる。
kond
の双子姉妹が参加して、左右に同じ顔があり
どうやら、悪酔いしたようだ。 
海岸通りのかっちょいいバーには、しばらくのあいだ、立ち入り禁止になる。
hirary
が最後まで付き合って、まとめてくれたらしい。

2000年4月  Mr. Hさん 非常勤講師として、正式に登場
Mr. H
さんを得て、塚研、「木ゼミ」、本格的に稼動。
なんだか、気合が入っていた。
なによりも、GMO科研をゲット!
うーん、なんか、間違っているんじゃないか? ってくらいのタイミング。
塚研の軍資金となる。

5月は11日に京都遠征:
塚原のいとこのSくん(神戸地検・大阪地検・東京地検経由の
いわゆる「元検」、当時、京大の院生)の講演・討論会。

ちなみに、Sくんは、京大で、法学の修士を修めた後
東京・目黒の、塚原公認会計事務所をついで
池袋に、「塚原法律事務所」を、2002年6月に発足。
まあ、いわゆる、多くの企業の、顧問弁護士になる。

それと、5月18日
「科学史の東西対抗戦」 (レジュメは、HP参照。)
京大の諸君と、東大の諸君の、なかなかのたたかい。

6月には、 徳島 吉野川遠征 
(塚原・Mr. Hgennちゃんのくるま
yagy
mizogashsonodkond・京女の子たち)
simomy
sai)のうちに、世話になる。
建設省の事務所で、mizogがんばるが
けっこう、権力に言いくるめられて(?)帰ってくる。
うーん、ミゾグチィー、おめえ、権力って、なんだか、わかってるんか?
負けんな、負けんな、負けんな!

立花 隆 研究会(代表 sonod)、本格化
メンバー terunakattchiee

ここで後に塚原研の「重鎮」、別名、「守護神」となる
イラクのゴールキーパー、banjohの登場。
当初は立花研の相談役。

遥洋子・上野千鶴子研究(mizogプロジェクト)もこのころから。
しばらくして、上野さんのメール、塚研のMLにとどく。
mizog
狂喜。
まるで、Pro.Tさんのメールのようだと、評判。
(どーゆー評判じゃい?)

2000年 STS夏の学校  山中湖 gennちゃんの車で。
学生部隊は、「夏の予備校」から。
hirary
、塚原、山中湖で泳ぐ。
山中湖は浅いが、hirary、見事な背泳ぎ。
矢部史郎さん・山の手緑さんと、初めて会い、感動。
いやはや、面白かった。
でも、明け方に、「富士山粉砕」のデモをやろうとした矢部さんは
塚原的なノリで、ちょっと、同類を見ると、困る。
うーん。 Hyuu、山の手さんにしかられる。
参加者は、hiraryyagyashsonodHyuuほか、
gennちゃん、わるい、誰がいたか、ちゃんと書いて)、たくさん!

2000年 海外遠征  ライデン・ウィーン
参加者は、 gennちゃん(隊長)、nakattterusonodash
mizog
chieesugioHyuu、塚原の妹夫妻、などなど。

オランダに到着したばかりで、chieeちゃん、べそっかき。
スーツケースの鍵をなくして、着替えがないとか。
塚原、大笑い。 chieeさん、傷つく。
でも、翌日、スキポール空港の、専門家に、あけてもらう。 一件落着。

ライデンでは、塚原は、忙しすぎる。
まあ、昔の友達みんなが、子供をつれてくるから、そりゃあ、楽しいわい。
でも、まあ、みんなが楽しんでくれたようで、塚原は嬉しい。

現地で、hamnが合流。
うーん、セイチョーしている。

ウィーンでは、4SEASSTに参加。
金森さん、中島秀人氏、中山先生など
やっぱ、学者のすごい面々。調くん、「かっこいい」、と評判。
mizog
、調くんの、「カリスマ」性に、イカレテル。
sugio
は、なかなかの人物。 Hyuu、本来の面白さが
海外では、なぜかフツーのニンゲン。
genn
ちゃん、全体をしっかりおさえ
hamn
が、きちっと、英語で交渉。
それを見ている、nakattの視線が熱かった。
・・・で、nakattはその後、フランスへ。

塚原のウィーンでの発表は
-Techno-optimism vs. Techno-Pessimism
in the Context of a Nationalist Sentiment Revival in Japan:
 Between Playstation 2 (Sony) and the “Do not buy this” Movement,
presented at 4S/EASST Conference 2000:
World in Transition, Technoscience,
Citizenship and Culture in the 21st Century,
at the University of Vienna, Austria.
ウィーン大学、2000927-30

現地でのhamn合流の成果は、nakattと、sonodash
chiee
sugioHyuuの海外留学。
さすが、「遠距離ナンパ」のできるオトコ。塚原の教育成果か?

2000年秋: 「コミュニケーション規範概論」
はじめのうちは、mizogほか、ちょっと、ウィーンの余波で飛ばしすぎ?

でもawattをゲット。 地域の方が、実は、豊作。
aby
nattunakagは持続した。
kozy
nomutanyなど。

この11月、相変わらず、科研の書類つくり。
この年のゲットは350万(年間で100万くらい)。
それより、この秋は、オランダ400年記念で
塚原は、やはり、へろへろに疲れている。

歴史気象学も、医学史・薬学史も、ついでに植民地科学史も、
10年分の研究の成果が、一気に注目をあびる。
(塚原の業績表を参照。)

このころのマイ・ブーム: 『長崎ぶらぶら節』、さっすが、中西礼、しぶいっす!
古賀十二郎先生は、「直木賞的」に再生していました。

塚原の目標は、って、kiyoに聞かれたけど、
「平成の古賀十二郎ですか?」って
うーん、そーゆーわけには、いかねえべえ。

で、年末イヴェント:
2000年12月 「サイエンス・ウォーズ」、
金森さんの集中にからんだイベント・シリーズ
招待者: 小林傳司・木原英逸・藤垣裕子・梶雅範・柿原泰・杉山滋郎 ほか
それと、佐藤進をよんだ GMO シンポジウム
sonod
チームが中心。
中島秀人・綾部広則・春日匠らがシンポジスト
同窓会長、伝説の舟橋が、このころ、ちょっと、登場。
うーん、でも、佐藤進をのさばらせているてーどで、これは、ちょっと、まずかった。
で、これを教訓に、2001-2の1月のシンポは、気合をいれる。

2001年2月 GMOについてのリスボン・ワークショップ
日本でのGMOについてのSTS的分析
(平川秀幸氏による日本でのGMOコンセンサス会議の報告の序文的な内容のもの)
代表・三浦伸夫氏の参加、中村征樹氏が代読
報告は中村氏がSTSニューズ・レターに掲載
また本会議に参加の下斗米和明氏が
GMO
についての政策提言をジャパン・タイムス紙に寄稿・掲載。

その後、下斗米氏は、東大の法学部の修士を終わった後
アメリカの、ジョンス・ホプキンス大学の博士課程に進学。
指導教官は、「歴史の終わり」の、フランシス・フクヤマ。

塚研・2001にかけて

2000-2001年にかけて、フランス帰りのkiyo参上。
hamn
が、遠距離ナンパして、塚研にゲットしたらしい。
それで、banjohkiyo隊、長崎遠征。 
16世紀の医学、パレ、楢林の外科、などなど。
ついでに『ぶらぶら節』仲間に。 長崎に入れ込む。

hirary: 修士論文完成。 なかなかのいいでき。
九州大学の博士課程へ。高橋憲一先生に世話になりに行く。
この年度の卒業論文は、山根直美、ロバート・オッペンハイマーについて。
なかなか、ドキュメンテーションがいい。

2000-2001 にかけて、mizogの強力なオルグ力が発揮されていたことが判明。
aby
nattuなどの新参の使い手たちは
みな、mizogの手の者どもじゃったぁ!

2001年3月くらいから、nattukozyコンビ、豊島に潜入しだす。
nattu
は、このあと、何回も行くようになり、豊島の事情に通暁する。
その後、東京外大での講義で、東京人を感銘させるまでに至る。
(東京外語大学の吉本先生のHPを参照。)

2001年 4月  hamn帰還。

まるで身代わりのように、nakatt、フランスへ。
hamn
も、帰国の当初は就職戦線で苦戦していたらしいが
内定をいくつか取ってくる。東芝に。
ちなみに、yagyちゃんは日本写真印刷、kiyoは日立に。
hamn
の、「日本ではなに食べても「ケミカル」がだめなんっすよ」
と言ったのが、印象にのこる。
イギリスのいい部分を、得てきたようだ。

春のシンポジウム: sonodの発表。
けっこう、評判はいい。
でも、発表のすぐ後はけっこうアドレナリンがでているけど、
原稿がまとまらない。
その後、マスコミからのアプローチ多数。
ヨミウリ・ウィークリーには塚原のインタビュー記事
『週刊 読書人』でも話題にする。
宝島ムック、立花隆特集には、塚原が寄稿。
元東大生の矢田和一郎くんの本もでたりしてるチャンス。
でも、sonodは、対応しきれず。 デビューの機会をのがす。残念!

うーん、塚原研の問題: イベントのあとの盛り上がりがいいけど、
それがすぐに醒めること。
海外遠征のあとには、「英語を勉強したい!」とか
エクスクラメーションマーク入りで言っちゃうのに、その後が、続かない。

・・・とか、塚原、このころ(前からそうだった?)、けっこう、愚痴っぽい。

科学ジャーナリズムプロジェクト:
うーん、外部に出せるプロダクトに至らなかった。

2001年5月 matumtさん・hamnashで、とうとう、学会デビュー。
hamn
hiraryより早く、学会の年会に登壇してしまう!

-日本科学史学会(20015月)、
神戸における開港期の疾病と医学
(History of Medicine in 19th Century Kobe)

matumt
さん・hamnと共同研究
(『科学史研究』に、「研究ノート:史料紹介」として投稿中。)

-日本科学史学会(20015月)、日本における気象史料について:
機器観測記録の調査
Historical records of meteorological instrumental observation
in 19th century Japan
)、
matumt
ashと共同研究
(『科学史研究』に、「研究ノート」として投稿準備中。)

で、塚原は、あいかわらず、仕事のし過ぎ。
このころ、大脳が、オーヴァー・ヒート気味。

『現代思想』、2001年8月号 刊行。
塚原は論文1本、翻訳2本、インタビュー1本。
ひとつの号で4本は、『現代思想』では前例がないらしい。
ちょっと、くたびれた。
で、原稿を、ぎりぎりの伊丹と、乗り継ぎの成田で
ファックスとメールで入稿。
いくらなんでも、こりゃあ、仕事のしすぎで
へろへろになってメキシコへ。
頭脳労働の「過労死」は
肉体でなくて精神に来る、というのが、実感。

メキシコに着いたころは、ほんとに、くたびれてて、
そのうえ緊張の余波でなんだか眠れないし、全く、困ったもんだった。

でも、もっとすごいのがいた。
メキシコで原稿を書いて、メールで送っていたのは、柿原くんでした。

STS夏の学校: 小豆島・豊島  テーマ 「科学教育」

(ここではじめて、『現代思想』の出来上がりを見る。
うひゃー! 出来上がると、けっこう、嬉しい。)

参加者は、yujeenと塚原、
学生は abynakagnattuash
kiyo
banjohgennkinug
awatt
shivahamn ほか
帰りに、小林さん親子、東大の小山田くんたちとともに、
岡山の塚原のうちに寄る。

shiva・awattはぎりぎりで申し込む。 デビュー。
塚研は、みな、水泳やサイクリングを楽しむ。
ひとりで寝ていたのは、shiva
よく遊んでもらったのは、yujeen
・・・こいつら、何しにきたんじゃい?

夏の海外遠征: イギリス・ライデン・ケンブリッジ・オックスフォード
ライデン隊: ashnattushivamatumtmakit
イギリスアムス隊: hamnnavanakatt
アムス隊は、ベナマルさんのところに世話になる。

秋から、sonodの休学。
やつは、何かを、つかむだろうから、
塚原は、あえて、ほっておく。
まあ、かわいい子には、旅をさせろとか、
ライオンは、子供を崖からつきおとすとか・・・

で、塚研のメンバーにawattshivaをゲット。
awatt
はディズニーランド研究。 shivaは家電研究。
両方、けっこう、いけそう。
異文化からはsusieが参加。 mizogの配下について
第3世界の児童労働・児童買春のプロジェクト

でも、うーん、susie、大丈夫かい?
ちょっと、(やっぱ、教育者に育てられると、「ひよわ」なとこがある。
傷心らしいことが、金沢で判明する。  うーん。)
susie
、しっかりしろ!
hamn
から学べ。 nakattから学べ。 hiraryから・・・学ぶと
うーん、ヤバイこと教えてもらいそうだけど
それでも、キミは、学べ!!!!

秋:東アジアSTSの勉強会: aby(台湾担当)が大活躍。
nakag
(韓国担当)もがんばる。
nattu
HP担当をashから受け継ぐ。

塚研2001-2002は、「外人部隊体制」に。
本格的な「自主ゼミ化」か?

今期の「コミュニケーション規範概論」:
セッションにいくつかのヴァリエーション。

セッション0 入門:大学での学問 国家権力と学問;
逆方向現代史、村上龍・遥洋子・田中康夫

セッション1 コンテンポラリー・カルチャーシーン:
GO
、エリン・ブロコヴィッチ、千と千尋

セッション2 takkymizogセッション:
第3世界、児童労働・児童買春

セッション3 東アジアのSTS、「科学と帝国主義」
HP参照。)

ここでの大成果は、miyagをゲットしたこと。
やつは、「GO」にイカレタ、どっちかっていうと、
「子供のココロをもったまま、成長しちゃった」
(オメー、ちょっと、成長しすぎだぜえ・・・)、「千尋」型のニンゲン。
朝鮮大学への訪問など、イニシアティヴをとる。
aoihrch
をともない、shivaの高校の後輩、fumをともない
塚研の主要人物としてさらに、「成長」を続ける。
うーん、出身が三重の名針(名張?「ナバラー」)
というのはashのご近所で、高校の後輩でもあった。 
世間は、やっぱり、せっめー・・・

やつは、朝大への交流に なかなかの力を発揮し
まあ、よく飲む。
こいつは、飲んでも、飲んでも、酔わない。
うーん、あとで、熊本系のニンゲンと判明。
きっと、球磨チュウと、芥子レンコンで、鍛えてるんだ。
こりゃあ、塚研の、「最終兵器」だなあ。

で塚原は順調に知識生産。
『週刊 読書人』11月9日号 刊行
(一面に写真入り!金森さん、小松美彦さんと一緒。)
現代思想・ブックガイド、刊行、 立花隆論、脱稿。
調くんとセナさん(パラサイト・イヴの著者です) との共著のほんのチャプター、
英語ではベルギーのリェージュとドイツのチュービンゲンから
おのおの原稿がアクセプト・刊行などなど。(業績を参照)

秋の東京遠征: STS 秋のシンポジウム
テーマ「科学ジャーナリズム」 東大 先端研
参加者: 8名  隊長 chieeさん:banjohaby
nattu
ashhamnshivaawatt・・・
それと、現地では、東大・東工大の諸君。

レンタカーでの東京遠征は、イプサム。
で、けっこう、遺跡やら富士山が面白かった様子。
でも、みるからに、みな、寝不足。
隊長のchiee、なんだか、調子が悪いらしい。かわいそう。

でも、プレ・セッションとして、banjohのガイダンスでの
国会図書館での研修のあとに
こともあろうに千代田区の「経団連会館」、
さらにこともあろうに、梅原猛・中村桂子と金森修さんの対談、
それで司会は米本昌平さん!!
むちゃむちゃ、面白い。
banjoh
、やっぱ、梅原のボケ振りに感動している。
でもあんまり面白かったもんだから、その余燼をかって、
東京駅のまえのおでん屋で
フランス帰りのnakamくんを交えて
散々食べて飲んだ挙句、
東大のnattumyくんとmimutarくんと落ち合って
表参道の餃子屋で、楽しく食べて飲む。
でも、そこでは、hamnとガングロジョシコーセーのガンの付け合いが
見てて面白かったが
どっちかっていうと、hamnが、ナンパされてる状況で、ビビッテた。
それから、裏原宿の塚原の隠れ家の
星の見えるイタリアン(このころまではnattuashbanjohとか、居たよねえ?)へよって、
そのころ、なんだか、nattuとかは帰って
それで、塚原とhamnnakamnattumyくんとmimutarくんを誘って、
青山の、ケミカル・アシッド系のクラブへ。
その後、ナンパに成功した(?)塚原とhamnは、行方不明に。
(当然!?!)
そんなわけで、シンポジウム当日は、けっこう、ハイ。
岩波の林衛さん、それと土曜講座の上田さんが、面白い。

なんだか、帰りも、車のチームは、けっこう、大変だった模様。
どうやら、名古屋のあたりで、abynattuが、道に迷ったらしい。
いまでも、この話をすると、

「あんときは、あんたのほうが、まちがっとったんやぁ」

「ちゃうわい、おまえのほーやぃ!」

とか、大阪弁と神戸弁で、(塚原にはその差異は分からないが)
お互いに、やりあっている。
うーん、兄弟げんかのようで、おかしい。
両方、3人兄弟の末っ子だから、ゆずることを知らないようだ。
そういえば、ついでにhamnawattも、3人兄弟の末っ子である。

12月はじめの「コミュニケーション規範論」:
児童労働・児童買春の高岡・mizogセッション
NHK
の取材で、カメラが入る。
 なんだか、このころ、マスコミへの露出度が高まっている。

ここらで、kozyの大復活。
水一の規範論で、豊島についてのプレゼン。
豊島については、かなり、あやふやだったが
なんだか、エチオピアに行った話が受けている。
うーん、この「ずれかた」は、ある意味、才能。
その後、コオオオザアア、は、塚研の重鎮の座を、
影でbanjohと張り合って、お笑いでゲットしようとしている
とのうわさが流れている。

・・その間に、GOOD NEWS!
chiee
さん・シェフィールド、awatt・ニース、合格!  ashは残念。

12月 東京外語大・吉本先生の下での講演
「産業廃棄物」そして「豊島」について、nattuのトーク。
東京外大生に、なぜかむちゃくちゃ受ける。
関西弁なまりの子が、一生懸命
東京弁でしゃべっているのがよかったのか? HP参照。
でも、内容的には、たしかに、nattuは、はなしの組み立ても
展開も、かなりうまい。隠れた(?)才能か?

冬の金沢遠征・忘年会
本当は、金沢工大での国際シンポジウム 『技術倫理・工学倫理』
隊長:hamn  現地コーディネーター: kiyo
さっぶーぃ、金沢を、さっぶーっく、味わう、のが、まあ、目的と言えば目的。
ちょっと、一味ちがう、北の風を受けに行く。
でも、へろへろになるまで付き合ったのは、hamnだけであった。
朝の日本海。 ドッカーン。
うーん、北朝鮮のロゴのはいった、シャンプーの入れ物を拾う。
朝は、早起きをして、走れ、走れ、走れ!

とはいうものの、夜の金沢は、ちょっと、楽しかった。
いい感じの日本酒の立ち飲みの利き酒バーで
みんな、好きなだけ飲んで、
(そのまえにキヨノの親戚のお店で
みんなたくさん、食べさしてもらって、飲ましてもらったらしい)
それで、キヨノは、おうちへ。  それから、が、大事な時間。
塚原は用心棒のhamnを連れて、夜の街へ繰り出し
なんだか、「いいかんじ」の割烹で、飲みなおす。
それで、割烹の板さんと、ママさんと、楽しく、話す。 そこで、「取材」。
hamn
は好物の、白子とか、なまことか、金沢の珍味を食べまくり
うんまい、日本酒を飲みまくっている。
塚原は、タバコが吸いたくてしょうがないが
まあ、酒をがばがばのめばまぎれるから、
とりあえず、がまんして、板さんに、「冷やしうどん」とか、つくってもらい
「寒ぶり」をのせて、食べている。
で、聞かれる(まあ、当然だけど)

「おふたりは、どーゆー、お知り合いですか?」
(つかはら、ちょっと、酒をあおる。)

「・・・、えーっと、まあ、上司と部下です・・・あの、東芝の、初芝の、・・・」
(すかさず、hamnの合いの手!)

「し・し・し・・・シマ部長!!!」

とかって、なんとか、かんとか。
で、金沢の夜のまちの、「茶屋」の話を聞きだし、・・・
翌日、gennちゃんと、「ビミョー」なyagyちゃんを宿にのこして、
(宴会でカニを食べながら、「ビミョー」をめぐり
yagy
ちゃんとgennちゃんの壮絶にして凄惨なるバトルがおこる。
これは、あまりにおかしくて、塚原がひっくりかえってしまう。)
それで、nattuawattshivasusiehamn・塚原で
霙のなかを、歩きとタクシーで、西茶屋町へ。

うーん、こっわーっ。
ちょっと、千と千尋の、「湯や」レベルだなあ・・・
hirary
がいると、もうちょっと、いけたかな?
うーん。これが、西茶屋町かい・・・・

で、大雪に降られ、繁華街の中華で飲みなおし
またまた霙のなか、タクシーで、宿へ。
帰りのタクシーで、awattは、塚原の背中に雪を入れる。
つっべってーーーんじゃい!  nattu、共犯。

この間、ひるまは、塚原は、会議にでる。
会議では、神戸大学の塚原の前任者、水谷先生に初めてあう。
調くんといっしょに、いろいろと議論して
「工学倫理」・「科学技術倫理」のあり方が
ちょっと、わかったような気になる。帰りには、彼と一緒にカニを買いにいったりする。
それで、塚原は、(もちろん!)
ちょっと会議をさぼって、隠れて、金沢の史料を見に行く。
歴史の観点から、金沢とは、「不平士族」の町であり
一向宗のまちであり、すばらしい、歴史のまちである。
 図書館の一部に、なかなかいい、文書館がある。
そこには、かなりの、史料がある。 
うーん、で、「不平士族」とは、明治のテロリスト。
うーん、kiyoのことを思い浮べつつ、史料探索をする。
 いや、すごいものが、埋もれている。
蘭学的には、金沢は、明治のはじめに
悟堂卓爾(ごどー・たくじ)という役者のような名前の
かっちょいい、洋学者を輩出している。
やつは、ロンドンやアムステルダムで活躍して
日本に、「お雇い外国人」を斡旋している。
また、金沢の、「からくり」は、hamn
朝、見に行ったけど、かなり、面白かったです。
 うーん、「からくり師」とは、どういう、「技術と社会」のハザマを
生きていたんだろう?
奴らは、いったい、何者だ?
面白い。 スピルバーグのAIと、鉄腕アトムを思い浮かべながら、考える。

それで帰途の大阪では、子どもの権利、ワークショップ。
mizog
はセッションの主催、takkyもオルガナイザー側。
塚原・susieが参加。 一回生も何人か。
mimack
、岡山の出身と判明。 塚研にオルグ。

そのあと、新大阪の駅の地下の居酒屋で、
グレゴリー・クランシー教授(シンガポール大学)と、待ち合わせ。
susie
mimackが同行。

2002年1月   東アジア イベント
(内容については、HPへの報告書などを参照。)
もう、大成功!
aby
の活躍ぶりは、すごい。
松本さんは、すばらしいマネージャーぶり。
英語的には、hamnが仕切る。
yagy
ちゃんの会場のマネジメントに、かなりの力を見せている。
nattu
は、さすがに、足が速い。動きがいい。
shiva
awattは、なかなかできる。
chiee
の配布の資料つくり、難航するが、間に合わせる。
これは、chieeさんには、いい勉強になったはず。
 「仕事」っていうのは、こういうもんだよ。
banjoh
、修論の最終段階なのに、留守番役を勤める。
genn
ちゃん、きちっと、ロジ担。
ash
、会計を掌握。
nakag
、いい感じでサポート。 miyagも、なかなか、いける。

それで、塚原の評価、えらい高まる。
まあ、塚原の評価、というより
「神戸は、知識生産拠点として、
かなり、いい学生がいて、いい仕事をしている」という評価。
それと米本昌平さんや、金森さんからも、学生への評価が高い。

これは、嬉しい。
国内だけではない。
あとで、朝鮮大学校の任先生や、ソウルの宋先生
台湾の傳先生・雷先生からも、お誉めをいただく。
ついでに、スティーヴ・フラーは、「日本のSTSの拠点のひとつは、神戸にある」と
世界中に、吹聴している。 (ホントだぜ!)  ウひゃあ!!!

でも、あとから、「オトコのジェラシー」が蔓延して、
神戸の内部的には、かなり、厳しい状況に。
うーん、大学教師って、なんだか、醜い。 それで、Mr. Mに、
(いつも彼は、板ばさみの役目のようです・・・
すみません、とんでもない助教授で・・・)、かなりの迷惑がかかる。
カリーム・ベナマルさんも、神戸を去る前に、ひとつ、なにか、いいことをしたい、と言って
Mr. M
と組んで、塚原のサポートにまわってくれた。 それには、感謝・感謝。

でも、hamnに対するMの「場違い」発言とかまでに波及するとは
まったく、困ったもんだ。
富山薬科大の川上せんせいから、
「まあ、そーゆーのは、あげたこぶしを、そっとおろさせてやるようじゃなきゃあ・・・」
と、慰めのことば。
うーん。

豊島への遠征・ナツコのオルグで、一回生も動員。
うひゃあ、このころ、kozyのブレーク。
直島・岡山側の玉野などもふくめた調査を、いろいろな部隊に手分けしてやる。
取材としては、なかなかの成果。
miyag
、すでに中心人物の貫禄。
ついでaoihrchmimackmimurあたりが
いい感じで塚研にオルグされてきている。

これの結果の発表は、STS春のシンポジウムで、大好評。
うーん、実践と取材力の勝利だ。
いまや、nattuは、塚研のエースに。
その後、nattukozyは再度・再々度の調査。
塚原も一回、nattuの玉野の調査につきあう。

で、この年度の終わり方は、いつもどおりだけど、バタバタしてる。

水1の打ち上げでは、takkyさんに感謝。
それとmizogのプロジェクト、第3世界の児童労働や、
売買春についての勉強会の継続を計画。 
susie
が担当に。 susieー、がんばれよー!
そのあと、一回生をオルグするための飲み会を企画。
すんごい人数が来たけど、
実質的に、オルグは成功といえるかな?
ちょっと、ヒトが多くて、流れすぎ。
まあ、takkyさんは、本当にありがとうございました。
今後も、いろいろと、ご協力、お願いします!

それで、「2001年度の塚研・大納会」。(!)
だれか、写真、ないかい?
これは、なにか言うより、やっぱ、写真を・・・
genn
ちゃん、博士、banjoh、修士に。
yagy
ちゃんとhamnは、学部卒業。卒論は、かなり面白い。

――――――――

このへんから先は、まだ、ちょっと
「ヒストリー」ではなくて、まあ、オン・ゴーイングかな。
2002年4月から、塚原は、オランダへ。
ash
・イギリス、shiva・カナダ、sonodはまだイギリス
yagy
チャン京都で仕事、hamnkiyoは東京・横浜とか川崎の周辺らしい
banjoh
、本格的な予備校の世界史の先生、などなど。

To be continued… ..

 

Comments are closed.